花弁(はなびら) [サイドストーリー]

7月14日夜の帷の中、粗末な馬車はジャルジェ夫人を乗せて走っていた。
夫人の目からは、尽きることはないと思われる程に、ハラハラと涙はこぼれ溢れる。

「王家に背いた謀反人は、ジャルジェ家とは関係ない!捨て置け!」

 ああ…あなた。そんなふうにしか愛情を表す事の出来ないあなた。
誰よりも王家に対し忠誠心厚く尽くしてきた人だもの。平民議員を守ろうとした娘を、一度は我が手で成敗しようとした人だもの。
でも、それと同じくらいに、いえ、それ以上に…、一番長く一緒に暮らした末娘への愛情と…悔恨に苛まれている心を感じる。夫の気持ちは痛いほど伝わってくる。
 
表に出さない分、余計に。

 私はどうしても、最後に一目会いたかった。愛する末娘のオスカルに!息子のように信頼しオスカルを託してきたアンドレに!
 こんな立場同士では…、そう、謀反人の子と王党派の親とでは、わがままな事かもしれない。でも、二人は多くの亡くなった方々と共に、どこかの墓地に葬られるのでしょう?
暫くのあと、人知れず墓参に行く事も…多分、叶う事はない。ならばせめて今、二人の姿を、この目に、この脳裏に焼き付けておきたいの。天の園へ旅立つその前に、会っておきたかったの。…謝りたかったの。


 何も言わずに、かくれるように出かけていくのを、黙って送り出してくれた夫。
ただ静かに涙を浮かべ、オスカルの肖像画の前で何か話しているようだった。
ねえ、オスカル、本当にお父様は後悔しておいでなのよ。普通に娘として育ててやれば良かったのかと。

 「たとえ何がおころうとも、父上はわたくしを、卑怯者にはお育てにならなかったと、お信じ下さってよろしゅうございます」

 ありがとう…。そしてごめんなさい。オスカル。
貴方は生まれたその時から、武官として生きる事を定められ、男として育てられた。
母親として悔いる事は山程ある。でも、何より謝りたいのは…、二人の事よ。

アンドレったら、貴方に対する気持ちを、本当に上手く隠していたわね。
衛兵隊に移る頃までは、兄弟のような親友のような…。貴方にとっても私達にとっても、本当に大事な存在で家族同様だった。
 アンドレが居てくれるからこそ、安心して男性でも過酷な軍務に、貴方を送り出していた。

 貴方が衛兵隊に移り、苦労している姿をみていた頃だったかしら。
屋敷で仕事をしている時や、貴方について行動するアンドレの…なにげない視線や態度に気付くようになったのは。
 本当に二人は、幼い頃から仲が良かった。気難しい貴方には、親すら手を焼いていたのに。不思議とアンドレの言う事には素直に耳を傾けていた。余程、ウマが合っていたのでしょうね。ずっと、その関係は、兄弟のような信頼関係だと思っていたわ。

しばらくしてから、貴方の視線の先に、アンドレを見るようになっていた。私も貴族のはしくれだったようね。余りにも身分が違う貴方達の事を心配したの。アンドレに主家の夫人として、あきらめるようになどと、諭としはしなかったけれど、女性ながら武官として生きる貴方にとって、良からぬスキャンダルの種になりはしないかと心配していたわ。

 あの日…、三部会の警備の為、遅くに屋敷へ帰って来た二人を見た私は…。

 「遅くなったな。明日も三部会は荒れる。早く休め。」
「アンドレ。…見ろ!…母上の庭が見事だ。」
「ああ。さすがは奥様だ。薔薇や他の花々も見事に咲いている。綺麗だ。」
「夜風が気持ちいい…少し…、ほんの少し…庭を散歩でもして行こう…。」
「オスカル、俺の言った事聞いていたか?おまえには休息が必要だ。ここのところの激務で、ろくに休息もとれていない。」
「…おまえは…冷静だな…。以前と変わりない…。」

アンドレの腕の中に、ふわりとオスカルが身を委ねた。

 「俺が?…馬鹿な。今だってそうだ…。」

二人は夜の庭の花々の中で口づけていた。

 「ふふっ。…やっとしてくれた。…私の事は忘れたのかと思った…。」
「おまえを、忘れることなんてない。」
「…おまえは…昼間は冷たい。いつもと同じだ。」
「俺は変らないよ。」
「…うん。」
「俺はずっと傍にいる。おまえの傍に。」
「…うん。」
「どこにも行かない。他に行きたいところなどない。」
「…わかっている。昼間は…隊員達がいる…。でも…ここに居たい…おまえの…ここに…。」
「俺の生きる場所は、おまえの傍だ。」
「…うん。」
「長い間、おまえだけを想ってきた。気が遠くなる程に…。」
「…うん。」
「今も…、いや、今まで以上におまえを…愛している。」
「…うん。」
「オスカル。俺は、おまえを愛している。」
「…うん。」
 「おまえだけだ。命あるかぎり。」
 「…うん。…私も。」

二人は口づけを交わし、アンドレに手を引かれ、つかの間の散歩を楽しんでいた。

幼い頃から軍服を身につけ、男性ばかりの軍隊の中で戦ってきたオスカルの人生。
誰よりも凛々しく、潔く、強くあろうとして来た貴方だった。
私は母親なのに、あんなに綺麗で女らしいオスカルを、見た事がなかった。私達が強いてきてしまった武官のとしての人生。その中に、女性としての素顔が、あんな風に隠れていたなんて…。
いままで、貴族として生きて見に付いていた価値観も、常識もどうでもよく思えた。


アンドレは知っていたのね。貴方が、アンドレだけに見せる素顔や弱さを、ずっと受け止め、大切に守って支えてくれていたのね。
私には、変える事の出来なかった貴方の人生だけれど、アンドレは、あるがままのオスカル愛し支えてくれていた、武官としてのオスカルも、女性としてのオスカルも。

ガタンッ。馬車が止まった。どうやら、パリの片隅の教会へ到着したようだった。
連絡をくれたロザリーが駆け寄ってきた。

「奥様!よく、ご無事で…。」
「ありがとう…。ロザリー。連絡に来てくれたご主人は無事かしら?」
「大丈夫です。」
 「二人に会えますか?」
 「こちらです。」

あまり時間はなかった。ぐずぐずしていては、ロザリーや他の皆さんが王党派と通じていると、あらぬ疑惑を与えてしまう。只、家族に会いに来ただけだとしても。

「ああっ!」
 
 二人は…、ひとつの棺に眠っていた。…幼い頃のように。

 「衛兵隊の皆さんが、…急ごしらえで…作って下さいました。オスカル様は…、息を引き取られる寸前におっしゃいました…。『ど…うか…私をアンドレと同じ場所に…私達はね…夫婦になったのだ…から…』と。…だから、…だから、どうかお許し下さい。お二人をご一緒にさせてあげて下さいませ。奥様…。」

ロザリーは涙を溢れさせながら、話してくれた。昨日、アンドレがオスカルを庇って銃弾に倒れた事。その時、もうほとんど視力を失っていたであろう事。後を追うように、今日、貴方が銃弾に倒れた事…。

ごめんなさいオスカル。こんな母親だけど見えるようだわ。
たった一日であっても、アンドレが居ない人生を生きる事は、どんなに辛かった事でしょう…。どんなにか孤独だったでしょう…。
 よく、耐えて指揮を執り続けたわね。きっと、アンドレが望んだのでしょう。武官として生きた貴方の人生を、最後まで全うして欲しいと。貴方は、それがわかるから、最後まで、剣を取り…。
 
 ごめんなさいアンドレ。オスカルの為に片目を失い、残った右目すら見えなくなっていたなんて。私達は気が付かなかった。本当に隠すのが上手ね…。主人やオスカルに知れたら、傍に居られなくなるのを恐れたのかしら。その見えない目で、どうやってオスカルを庇ったのかしら…。本当に、よくオスカルを守ってくれてありがとう。

  オスカルが後を追うように逝ってしまったのは、貴方達の絆かしらね。

「奥様、もうすぐ夜が明けます。それまでに、お屋敷に戻られませんと危のうございます。」
「ロザリー、お願いがあります。二人の着替えを持って来たのです。こんな時に親バカでしょうが…。二人には、血まみれの姿は似合わないと思って。せめてもの親心です。」
「奥様、お手伝い致します。」

アンドレにはよく着ていたお仕着せを、オスカルには軍服とドレスを持ってきていた。せめて上着だけでも着替えさせようと、オスカルの血染めの軍服の襟元をあけた時だった。

「ああっ!!」

オスカルの胸元には、アンドレに愛された証があった。まるで花弁(はなびら)のようにたくさん。くっきりと。私は、鮮明に二人の想いを目にした気がした。
ロザリーは、泣き崩れた。

オスカル、ごめんなさい。貴方は本当にアンドレに恋していたのね。身分も何もかも捨ててまで。
アンドレ、ありがとう。本当にオスカルを愛し抜いてくれたのね。命を掛けて守ってくれたのね。

私は、真新しい軍服の上着に着替えさせると、ドレスを上から掛けた。アンドレにはお仕着せを羽織らせた。

「オスカル。このドレスをアンドレは褒めてくれるかしらね…。綺麗だって。」

言葉少なにロザリーや隊員さん達に別れを告げ、教会を後にした。
オスカル、アンドレ。
主人に聞かせよう貴方達の事を。
二人が、本当に愛し合っていた事を。
きっと、きっと。
私は忘れない。生きている限り。
あなたに舞い散っていた花弁(はなびら)はとっても美しかった事を。

2013.4.18

 

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