幸せのかたち [サイドストーリー]

 狭い馬車の中での俺たちの指定席は、向かい側が基本だ。
いつからだろうか…隣に座り肩を貸すようになったのは?もう、ずいぶんになるな。

軍務は時として過酷だ。おまえは手を抜く事を知らないから…帰路はヘトヘトになっている事も多い。だが、部下の前ではピンと背筋を伸ばし身軽に行動する。そして帰りの馬車が走りだして暫くすると、決まって言う。
 「アンドレ。肩を貸せ」
俺は、まるで何事もないように隣に移動し並んで座る。夜は寝付きの悪いおまえが、揺れが心地いいのかスッと寝入ってしまう。俺は与えられた僅かな幸せと、これ以上触れてはいけない苦しみを同時に味わいながら…それでも、もう少しこの時間が続く事を願う…。ほんの少し前までの当たり前の光景。俺だけに許された…些細な幸せ。
 

「俺のオスカル…。」
何度、胸の内で叫んだのだろう。決して届く事はないのだと、絶望に近い気持で…二十年近くになるのだろうか…自分に言い聞かせ続けてきた。
「お嬢様は、このジャルジェ家の跡取りでいらっしゃるのだよ!」
解っているよ、おばあちゃん。心配してくれてありがとう。持ってきてくれた結婚話、いつも断ってばかりですまないと思っている。俺だって、あきらめようと馬鹿な事に精を出した事もあるし、強制的に他の女に目を向けようとしたけど…でも、駄目だったんだ。

俺の心が幸せで満たされるのは、オスカルが微笑む時だ。
心が引き裂かれそうになるのは、おまえが誰かを想っている時だ。
他は…たいしたことなどない。どうとでもなる。俺の幸福の基準はオスカルなんだろう。けれど、それは俺の誇りであり喜びなんだ、多分。他人とは全く違う。

だから…この想いは墓場まで持って行くつもりだった。そうだろうアンドレ?
日ごと夜ごと自分に言い聞かせてきた。
…あきらめろ!!…あきらめろ!悪い事は言わない…身分違いもいいところだ…あいつは…ジャルジェ家の跡取りだ。おまえがどうこう出来る存在じゃあないんだ。生きている世界が違う。何もかもだ。想う事は止められなくても仕方ない。だが、望んではいけないんだ。

なのに、俺はなにをした!?…なにをしでかした!!
抑えきれなくて…おまえが…おまえがフェルゼンの為に泣くのを見て…何かが壊れた。

隠さなくてはいけない想いだと知っていた。
それ以上に、わかっていて欲しいという気持ちがあった。
こんなにも愛しているのだと、おまえには知っていて欲しかった。
…身勝手な…俺の一方通行の感情。おまえが欲しくて、抱きしめたくて…この場で命が終わろうと構わなかった。
「それで…どうしようというのだアンドレ…」
…おまえの涙を見て…自分が何をしたのか知ったよ…。取り返しのつかない愚かな…許される事のない行動。己の欲情のままでしかない蛮行!何をオスカルに懇願したと思っている。抑えられない情熱の果てに、この世で一番守りたい人を…一番傷付つけた。

何故!…何故だ!…何をした!!…俺は…!?どうしてこんな事に…!

おまえを愛し過ぎたからと言って、免罪符になどならない!
旦那様に成敗されて殺された方がどれほど楽だろうか…。
俺は…自分で死ぬことは出来ない。それは…おまえから離れてしまうから。
成敗されたのなら、受け入れられるだろう。おまえへの愛ゆえに、愚かしさゆえに死んで行くのさえ悪くないと思えるだろう…俺は…。

怖かった。
どんなことより…おまえに嫌われる事が怖かった。
おまえに避けられ、言葉すら交わせなくなって「無視」される。
それは、死よりも辛いこと。

ジャルジェ家に居られなくなるのより、他人に蔑まれるより、おまえの人生に俺が必要でなくなることが何より…恐ろしい…!
…嫌だ…ああ…矛盾している。
こんな事を仕出かしておいて、嫌われたくないだと?…愚かだ…。


おまえは…そのどちらでもなかった。

何も言わなかった。
責める事もしなかった。
「わかっているのだよ。
…おまえがいつも影のようについていてくれるからこそ
私は思うままに動くことができる…」

傍に居て支えてくれるから、望むままに生きられると。
オスカル!
オスカル!
俺のオスカル!
おまえは俺を遠ざけないのか?
許してくれるのか?
この俺自身が危険人物のはずなのに?
何時…この抑えている想いが堰を切って溢れだすか、不発弾を抱えているようなものさ。

それでも…その黄金の髪を、姿を見ていたい。
おまえを守り支え生きていきたい。
笑顔も悲しみも怒りも愚痴も、皮肉めいた語り口さえも全て受け止めて、あらゆる敵から守ってやりたい。それが、俺の出来る事の全て。
おまえが望んでくれるなら…。
俺はこの世の「恥」なんて捨ててやるさ。
どの面さげても一日でも長く傍で支えて居たいのだ。
おまえの傍で生きる以外の人生は欲しくない。
おまえを愛せない「人生」など要らない。

…ああ…我を許したまえ。否、我を地獄へ、オスカルを守りたまえ。

ずっと一生このままでは居られない事くらいわかっていた。

ジェローデル少佐が旦那様に許されて、おまえの婚約者として屋敷への出入りを許された時、全てが崩れていくように感じた。
抑えていた感情は…地獄のように俺を引きずり込んだ。

…眠れない。
…食べる事もままならない。

手を伸ばせばおまえに届くのに
その白い肌に…口唇に触れられるのに

すべてが、俺には許されない!

身分、地位、財産。
何もかも持つ男がおまえをさらって行く。
ちくしょうっ!やめろっ!
ああっ!行くな!オスカル!行くな!オスカル!行くな…俺は!

「身分違いの恋にあきらめでもついたか?はっはっはっ…!」
「…もう一遍…言ってみろ…。
もう一遍!!ほざいてみやがれ!!」
「何遍でも言ってやらぁ!!目障りなんだよ!女に振られた時はな!ドバーッと…」

「ズガーン!!!!!」

…兵舎での発砲は、アランのせいじゃない。
本当は己を撃ち抜いてしまいたかった。
くそっ!そうでもしなきゃ、自分を押さえられない。おまえに触れてしまうから…。

届くのに…すぐに届くのに。この手をのばした…だけで…オスカル…。

この場所は…この距離は…。俺だけのものだった。
誰よりも近くでいろんな事を語り、おまえを見つめ笑っていられた。
愛される事はなくとも、俺だけのオスカルがそこに居て生きて行けた。

渡さない。渡したくない。渡せない!生きていけない!!

おまえを誰にも渡さない。そのための「毒」。
誰にも触れさせない…俺のものに…なる事は永久にない…でも!
…傍観など死んでも出来ない!他の誰かに身を委ねるオスカルを…俺は俺は!見ていられない。
正気はどこかに吹き飛んでいた。
毒の入ったワインで、オスカルを連れ去ろうと…だが…。
 
また、俺はお前に命を救われた。助けられた。
幼い頃を語る声音は…いつかおまえの為にこの命を掛けると誓った、アントワネット様の落馬事件の事を思い出させてくれた。

体が勝手に動いて…グラスを振り落した。

 なんという思いあがり…なんという自分勝手な…俺は…俺は…俺は…。
オスカルが助けてくれなかったら、この手で一番愛する人を殺めてしまっていた。
ああ、おまえを守ろう。オスカルに救われたこの命、惜しくなどないよ。未来など見えなくても良いいさ。ここに居られる限り、おまえを守るよ。
これが…俺の幸せなんだ。俺のオスカル!!



ガタンッ。激しく馬車がバウンドした。道が荒れていて、いつもここは揺れが酷い。
「う…ん。」
眠りから目覚めてしまったオスカルの腕が伸びてきた。
「アンドレ?」
「ん?」
「どうして、こんなに安心なんだろう?おまえに触れているだけで、胸が一杯になる…。」
そうっと、俺の襟元あたりを指でなぞりながら、おまえがつぶやく。
オスカルの黄金の髪を指で梳きながら、おまえの香りを胸いっぱい吸い込む。俺の頬に頭が触れている。鼻先で黄金の髪が揺れ、おまえの香りがしてくる。
こんな瞬間がくるなんて…思ってもみなかったよ。
 
「帰ったら、すぐに休め。身体がもたないぞ。」
「おまえは私と居たくないのか?」
少し、拗ねたような顔で横を向く。アラン達は知らないだろうな、こんなおまえの表情は。
「居たいよ、もちろん。だが、明日も早いし、ここのところ大変だったから。」
「だから…だ。おまえと居ると安心する。駄目か?」
「食事もあまり食べていなかったな?部屋へ何か運ばせるよ。ちゃんと食べろよ、身が持たないぞ。」
「…おまえが給仕をしてくれるなら、食べてやってもいい。」
「かしこまりました、お嬢様。お部屋へお訪ねします。」
オスカル流の甘え方。俺にはたまらない。
何とも言えない目線で、見上げてくる。ほんの少し頬に赤味がさして、フッと目を逸らす。
おまえの頬に、額に、薔薇の唇に口付けする。

俺の腕の中に身を任せているオスカル。
昔っから、拗ねたりふくれっ面をして文句を言ったりするのを見てきた。
そうだな、それを見てきたのは、俺とおばあちゃんくらいか。
本当に気を許した相手にしか素のオスカル・フランソワを見せる事はない。
だからかもしれない。
ずっと、オスカルを美しい一人の「女性」として見つめて来た。
俺しか知らない素のオスカル・フランソワ。
俺の自己満足。
誰も、フェルゼン伯もジェローデル少佐すら見た事がないのだと。


仕事に関しては、おまえの意を汲んで先回りする事も多いから、何事も頼み易いのだろう。,
細々した事を指示する手間が省けるから、俺が動く事が多かったが、最近は少し違う…。
各班への連絡事項や、パリの留守部隊への伝令は、大抵俺が行っていたのに、どうにも様子が違う。

「オスカル。俺、何かやらかしたか?」
「…何故?そう思う?」
「ここのところ、伝令やら司令官室を空ける仕事を言わないから。俺、司令官に愛想尽かされるようなマズイ事でもやらかしたかなって。」
「…おまえ…!ワザと言ってるだろっ!知ってるくせに!!」

にっこりと笑って、少し腕に力を込める。

「公私混同を…しないはずだろ?」
「私はしていないぞっ!アンドレ!!適任と思える人間に命じているっ!」
「俺は公私混同してしまってるよ。おまえの傍にいたくてさ、いろんな意味で。このポジションは誰にも渡せるものかと思ってやって来たつもりだ。」
「なっ…何をシレっと、大変な事を言ってしまってるんだ。」
「ハハッ。駄目か。真実だけど。」
「ば、ば、バカ者!…そ、そっそりゃ、他の人間に指示するのは…姿が見えなくなるのが…嫌だから…んっ。」

さっきより、ずっと甘い口付けを繰り返す。何度も、何度も。

 「オスカル。おまえ、お屋敷の中では大胆すぎるぞ。誰が居るかも考えずに抱きついてきたりするから。」
 「アンドレ、おまえだって私に…その…口付けするじゃないか!」
 「基本は部屋の中だ!…って、あの時は不可抗力さ、おまえが急に腕の中に飛び込んでくるから…つい…ははっ。」
「ずっと前に、おまえを…留守部隊への伝令に走らせて先に屋敷に帰ったら、たまらなくなったんだ。…おまえと離れるのは嫌だ。」
「本当はいけない事なんだろうけど、その言葉は俺の心に沁み込むよ。本当にうれしい。ありがとう。」

頬を真っ赤にしながら、俺の軍服の胸元に顔を押し付けている…多分。
俺にはわずかしか見えないから。だけど、手に取るように解るよ。長い付き合いだ。
 光が奪われ、おまえを見る事が叶わなくなる…。これが、俺への罰?それとも、オスカルの愛を得る為の代償か?
ああ、構わないさ、この一瞬が得られる為なら。
誰かと比べる必要はない。
今、確かにおまえに愛されているのが、俺であるなら…それだけでいい。
その為に、この瞬間の為に俺は生きてきた。
誰かより深く…とか、もっと愛して欲しい…とか、そんなのは要らない…。
本当だ。
おまえの人生を、心を、その大部分を占める人間が他に居ようと…構わない!
誰かを想うおまえごと、全てを愛するよ。
おまえの苦しみも、悲しみも、誰かを想う思慕も…全てが愛しい!おまえを愛しているよ。


あとどれくらいだろうか…。
この目の事を知られるのは…時間の問題だろう。
あと、どれだけの間、おまえとこの距離に居られるのだろうか。
盲目の俺では、護衛すら出来ないと旦那様は思われるだろう。
否、案じて下さるだろう。

その時、俺はどうするのだろうか。先はわからない。
今は…この一瞬一瞬を刻みつけて行くだけだ。
…長くは…続かない。知っている。
望みが叶うのならばこの命、おまえに捧げて幕を閉じたい。
おまえの役に立たない「人生」なら要らない。
許されるなら…。おまえを、おまえだけを守って、守って、生きて、そして死んで逝きたい。
そう思っている。おまえの盾にする命だ。…粗末にするつもりはない。
唯、おまえの傍に居て支えたい。

目の事を知ったら、おまえは、どうするだろう。
俺をなじるか?
俺を嫌うだろうか?

…今は、哀しみに暮れるおまえが浮かぶばかりだ。
二十余年、共に生きてきた。
俺が盲人になったからと言って、捨て去る様な人間ではない事を知っている。
…だから、言えない。出来る限り長く…時間を引き延ばしておきたい。これは、俺のわがままだ。俺の。
隠し通せるなんて思ってはいないよ。いつかは真実を告げなくてはならない事は覚悟している。

ああ、オスカル。
今、俺は限りなく幸せなんだ。他人には解らなくてもいい。
俺には俺の幸せがある。
他人から見たら滑稽だろう。
身分、財産、男としての力量!どれも、俺にはない。
ただ、全てを受け止めおまえを愛し抜く事しか、俺には出来ない。

今、心底おまえを愛する許しを得た。
おまえが、俺を受け入れてくれた。
それだけで、どれほどの幸福か計り知れないよ。
オスカル。愛している。この命を掛けて!

ああっ。おまえが欲しい。
許されない事だと知りながら、望んでしまう。
先は見えない。二人の未来も、行く末も。

見えなくて良いんだ、未来があると信じられるから。

「どうした?黙りこくって…。」
「…おまえに見惚れていた。なんて綺麗なんだとね。」
「これまでは、そう言われると腹が立っていた。軍人だから。…おまえに言われると…胸が熱くなるな。ふふっ、私も変わった…おまえのせいだからな!ふふふっ。」

俺の襟元をいじりながらクスクス笑うオスカル。
なんて可愛いんだ!
「そんな風に…おまえが笑うなんて、衛兵隊の連中は知らないだろうな。これは、俺の役得だ。」
「…そんなに…違うか?…それなら…アンドレ、おまえの仕業だからな。」
「あははっ。また、うれしい事を言ってくれるな!」
「思ったまま、感じたままいられるのは…これほど心地良いとは知らなかったよ。アンドレ、おまえと居ると、私は私で居られる。」
「俺だってそうだ。アンドレ・グランディエでいられるのは、おまえと居られる時だよ。」

ふわりと抱きしめ、熱い抱擁と口付けを繰り返す。

さあ、オスカル。
軽い食事を載せたワゴンを押して、今宵はおまえの部屋を訪ねよう。
どんな話をしよう?どんな口付けをしようか?
こんなに付き合いの長い俺たちは、今、始まったばかりなのだから。

 たちこめる暗雲の中に、それでも俺は希望を持って時を待っている。
ずっとそうして生きてきた。これからだって。
叶わぬ夢でも見ないより幸せだ。おまえと生きる未来…描く事は自由だろう?オスカル。

…俺のオスカル。
全てを愛してる。




2013.4.30

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